私にはかつて[本音を言うのが苦手]
と言う心のブロックがあった。
今回は何故そんな事になってしまったのか?
と言うお話になります。
時代は戦前の母の母方(私の祖母)のお話。
私の祖母の家庭環境はかなり特殊で
祖母の父(私の曽祖父)はフランスのパリに
画家として、祖母の母(私の曽祖母)は
イタリアのナポリに声楽家として
留学しているような人達だった。
お陰で今でも曽祖父の絵は美術館に
飾られていて見る事が出来るし、
曽祖母の歌声はレコードやネットで
聴く事が出来る何とも不思議な人達だった。
ただその華やかな経歴の反面制約も多くて
お互いに実の家族に対して家族として
接する事が出来なかった。
どういう事かと言うと、曽祖父は
とある高貴な方の妾の子して生まれ
子供の頃は仲良しで何時も一緒にいた
同じ母から生まれたお兄ちゃんが
当主であった父が亡くなり
長男としてその家の当主となってしまい
その日から他人として接さなければ
ならなくなったんですよね💧
曽祖父を霊視した時に
「兄なのに兄と呼べない悲しさ。」
が凄く伝わって来た。
曽祖母はその高貴な方と妾の第一子
(と言っても結婚したくてもお互いの
身分が違い過ぎて出来なかった...)
として生まれ、実の親子なのに
愛する父の事を公然と「お父さん。」
と言う事を許されていなかった。
ここに来て勘の良い人は「ん?」と
違和感に気が付いたかも知れませんが
祖母の両親って叔父と姪の関係なんですよね。
残された写真を見ると曽祖母の父って
流石同じ父母から生まれた兄弟だけあって
コレ他人って言うの無理だろwと言う位
曽祖父とソックリなんですよね(苦笑)
2人を結びつけたのは
曽祖母の場合は[父親恋しい]
曽祖父の場合は[似た境遇に同情]
だったんじゃないかと思う。
それに立場的にお互いに数少ない
本音を打ち明けられる間柄だったから
立場的に結婚は無理だったけれども
実質的には夫婦みたいなものだった。
ちなみに曽祖母は最初に結婚して死別した
旦那さんが20歳以上年の離れた
イタリア貴族の旦那さんだったから
曽祖父との年齢差については
余り違和感は無かったみたい。
でも、やっぱりその関係性からお互いに
公然と夫として妻として接する事が出来ず
表面上は他人として接するしかなかった。
そして生まれた子供(私の祖母)も
曽祖父の親友に養子として出さざるを
得なくて公然と実子として
扱う事が出来なかったんだよね😢
ただ、そんな二人よりももっと
本音を言えなかった人がいる。
戦争が終わって一年が経った1946年
ある一人の男性が伊豆にある曽祖父の
別荘兼アトリエに覚悟を持って訪ねてきた。
曽祖父の兄兼曽祖母の父
(私の高祖父でもある)「もうこれ以上
娘と関わるのは止めて貰えないか?」
曽祖父からしてみれば
「実の母が亡くなった時に葬式どころか
弔電すら寄こさなかった癖に❗
それに曽祖母の母親が憲兵に処刑された
時に何もしなかったじゃないかっ❗
お前に何がわかる?💢」
と怒りを爆発させている姿が視える。
『もう話し合いにならないな...』
と高祖父が思った瞬間持っていたピストルで
曽祖父もとい高祖父の弟の脳天を
打ち抜いている映像が視える...💦
戦後のゴタゴタ+人1人ぐらい殺しても
罪には問われない身分の方だったので
その後も表面上は平穏に暮らしては
いるんだけれども、心の中では唯一
同じ父母から生まれて仲の良かった
実の弟を殺してしまった罪悪感に
死後も苦しんでいたんだよね😰
そんなイザコザがあって約70年後、
そんな彼らの子孫である私が曽祖母が
晩年暮らしていた鎌倉に行った時、
その彼ら一族ゆかりのお寺の本堂で
「××(彼らの本拠地)に行きなさい。」
と言うお告げを受けたので、
早速××に行き、そのさる高貴な方々の
一族の作品が展示されている美術館にも
行ったら、公式にはその一族とは
されていない筈の曽祖父の作品も
展示してあったんだよね。
その時『あー、コレは高祖父の
精一杯の贖罪なんだなー...』
と思ったら力が抜けて離れの
高祖父が好んだ庵の側のベンチで
ぐったりしていたら、
何やら霞の様な高祖父が
何とも言えない感情&表情で
私の方を見つめてくる...
私『あぁ、この人が立場上家族にすら本音を
言えなくて一番苦しかったんだろうな。』
と思うと同時にその高祖父が生前毎朝仏間で
立場上葬式にすら行けなかった実母や
戦時中に軍の力が強すぎてどうする事も
出来なくて愛する妻(曽祖母の母)を
家の為に見殺しにしてしまった事や
そしてパリにまで行った自慢の弟を娘の為に
自ら殺さなければならなかった事に対して
「ごめんなさい、ごめんなさい。」と
泣きじゃくりながら謝っている姿が視える。
この人は実の家族なのに家族として扱えない
申し訳なさから芸術の才能があった弟や娘を
東京芸術大学に通わせたり、更に才能を
伸ばす為にそれぞれフランスやイタリアへの
留学の手助けをしていたんだよね😢
それと、意外と殺された方の曽祖父は
『あの母の時と言い、妻の時と言い
何時も自分の身の保身に走っていた
兄が娘の時だけは我が身を顧みず
親として私を殺しに来た。』
と言う事に感心していて殺された事に
対する悔いや恨みは一切無いんだよね。
それで帰宅してから立場上そうする
しかなかった高祖父が救われる様に
お祈りしていたら仏様がやって来て
(鎌倉の一族ゆかりのお寺の?)
高祖父を苦しみから解放してくれた✨
そしたら弟と娘がフットワーク軽くて
ヨーロッパに行っていた位だから
生前は立場上出来なかったけれども、
元々高祖父自身も体を動かすのは
好きだったらしく、前世がお坊さん
だったのもあって今ではあの世で
子孫の幸せを願い修行僧みたいに
体を動かしながら修行して
過ごしている姿が視える。
何だかこの一連の流れを視ていて思ったのが
幾らお金を持っていて身分が高くても
しがらみが多すぎて全然幸せそうじゃあ
なかったよね?と言う事。
だからお釈迦様も将来の王座が約束された
一国の王太子だったけれども、色々と
悩み苦しみ抜いて僧侶になり、その方が
心穏やかに幸せに暮らしていけたんだよね。
それがあの世で何のしがらみも無く自由に
体を動かしながら修行僧?として充実感を
持って過ごしている高祖父と被るんだよね。
だから高祖父を救う為にわざわざ
仏様が出てきたんだろうか?と思う。
とにもかくにも自由って良いな♪
と心から思った。