前回のブログ私は永遠にかわいそうで
母親からの愛情不足が原因で
幸せになる事を拒否している
人々の話を書いたんだけれども
じゃあ、それを克服した人は居るの?
と言う事で今回はその人について
書いてみたいと思います。
今から2500年以上前のインド
インドの厳しい自然環境や身分制度に
苦しむ人々に全身全霊で
救いの手を差し伸べてきた
仏教の開祖お釈迦様がそうだった。
彼は一国の将来の国王の座が約束されている
王太子として生まれ、地位や名誉や名声も
ありとあらゆる財宝や美女に子供までいて
一生食べる事にも困らないかなり恵まれた
人生が約束されていた。
それでも彼の心が満たされる事は
無かったんだよね💧
何故なら実の母親が難産が原因で
彼を産んで7日目で死んでしまい
母親の愛情を受けずに育ったから
その後彼の父親はその母親の実の妹と再婚し
弟達が生まれるんだけれども、
その継母は実の姉の子供である彼を
弟達と同じくわが子同然の様に
大切に可愛がっていたんだよね。
それでも自分が原因で実の母親が
亡くなってしまった事実には変わりが無く
いくら物質的には満たされていても
彼の心は苦しいままだった😥
そんな日々を過ごす内にあの有名な
四門出遊が起こる。
ある日彼が東の門から
城外に出ようとした時に老人に出会い
南の門では病人に出会い
西の門では葬式に出くわしたんですね。
コレに彼はかなりな衝撃を受けてしまう。
何故なら彼の国王であるお父さんが
実の母親が難産で体が弱ってしまい
亡くなってしまったのを気にしたのか?
城内に老人や病人や死を感じさせるものは
置いていなかったそうなんです💧
なので彼はほぼ初めて生々しい苦しんでいる
老人や病人に人の死と言うものを
目の当たりにしたそうです。
どんなに物質的に恵まれた生活をしていても
私もいずれああなってしまうのか...
と思い悩んだ彼が最後に北の門で
出会ったのが人の苦しみと言うものを超えて
人の真の幸せを求めて修行している
僧侶でした。
そこで彼は
『あぁ、私が求めていたものはこの道だ。』
と思い、
将来の国王の座も美しい妻達も可愛い子供も
富や豊かさに地位や名誉や名声に権力も
何もかも全てを捨てて身一つで修業僧の
道に入ったんですよね。
最初は高名な僧侶の元で
修行していたみたいなんだけれども
そこでは彼の望む真理に辿り着く事は
出来ずに6年間の苦行の道に入る。
(体を痛めつける行)
それでも彼の求める真理には辿り着かず
ある日村娘からの乳粥の施しを受けた時に
『あぁ、コレじゃあダメなんだ。』
と言う事に気が付き(中道)
今度は[幸せ]と言うものを外には求めず
菩提樹の下で徹底的に自分の心の中を
見つめ直す事によって(内観)
ようやく今までの心の苦しみから
解放されたんですよね(成道)
要は[幸せ]って自分の心の
持ちようなんですよね。
若い頃のお釈迦様みたいにどんなに
将来が約束されていて美女にお金に
地位や名誉・名声に権力があったとしても
自分の心が満たされていないと
苦しいままなんですよね💧
でも、逆にどんなに物質的には
恵まれていなくても悟った後の
お釈迦様みたいにぼろ布まとって
その辺の野原で暮らしていても
心が満たされていればソッチの方が
よっぽど幸せなんですよね。
私もまだまだ途中ではあるんだけれども
昔みたいに外(物質)に幸せを
求めるんじゃなくて
『何故こう思ってしまうのか?』と
自分の内面を見つめ直すようにしている
今の方がよっぽど心は安定して
幸せを感じやすいんですよね✨
[幸せ]と言うものは外から貰う物では無く
自分自身の心の中にあるんだよ。
と言う事を実際に体験している者として
切に伝えたいです。